このところの肌寒いお天気が嘘のような最高の陽気でした。恒例 秋の太極拳が南アルプス市の御勅使南(みだい みなみ)公園でおこなわれました。大勢の皆さんが集まってくださってなごやかな雰囲気。つくづく太極拳は野外でやるものだなあと再認識です。
太極拳を始めたばかりの方、野外でやるのは初めてという方もいらっしゃいます。
コロナ禍でいろんな行事が中止されるこの頃ですが、各自の検温や体調管理、そしてマスクの着用。お互いを思いやる気持ちを大切にして気持ちの良いひととき。
青空太極拳のお知らせ
山梨県支部では来たる10月25日(日)、南アルプス市御勅使(みだいがわこうえん)において、毎年秋の恒例「青空太極拳」を開催いたします。コロナ禍での閉塞感をしばし忘れ、緑がいっぱいの河川敷公園のきれいな空気を胸いっぱいに吸い込んで太極拳を楽しみましょう。
日時 令和2年10月25日 午後2時~4時(雨天中止)
場所 南アルプス市 御勅使川公園 交流ゾーン芝生緑地
参加費 無料 動きやすい服装でお越しください
※ 会場の最寄りの駐車場は「第3駐車場」です。その他の駐車場はとても遠いです
ナビ等で「わかば支援学校」を目指しておいで下さい
※ 太極拳未経験の方も大歓迎です。お知り合い、お友達等お誘い下さい
※ 当日は各自検温の上、マスク着用でお願いします。
太極拳経の説明が難しいという声をいただきましたので、私なりの太極拳の解釈をもう少し詳しく説明するつもりですが・・・。
我慢して読んで下さい。(笑)
太極拳は、自分の体の傾向性、思いこみ等を自分と対話しながらバランスが良くなるように修正し、心も身体も健康にしていく神秘的な「意識体操」だと自分なりに解釈しています。
体のほんの数センチ、数ミリの傾きの違いを修正していく事を意識して稽古をするようになってから、私の体が自分でも驚く程変化して来ました。
体の力を抜き、重さに任せきった動きがどんなに気持ちが良いか、みなさんも実感していただきたいと思います。
いかに効率良く動かせるか、自らの体の感覚を問い直し、太極拳の動きを求め自然の動きを探究するのは無常の喜びになると思います。
太極拳がうまくなるには、一式、一式を繰り返し稽古することで太極拳に必要な、「フアンソン」と「立身中正」の姿勢を身につけるのが出発点です。
太極拳の練習以外に、日常生活でゆるめつつ、正しい姿勢で立つ・歩く・作業をするを心がける事で、健康にもなり、太極拳の稽古にも役立ちます。
楊名時師家が、心(意識)が7、動きが3とおっしゃり、私が初心者の頃は「何で心が7もあり、動きが3なんだろう」と7対3の意味が良く理解できませんでした。
しかし、年数を重ねてきますと、その意味がようやく分かるようになって来ます。
太極拳ではまず、正しい姿勢で立つ事が要求されます。
立ち方はあごを自然に引き、頂勁(頂頭懸)で、頭のてっぺんからひっぱられたイメージで直立します。
腹筋、背筋は上下に引き伸ばされた感じでかつゆるめます、百会・会陰を通る中心軸を意識して立ちます。
良い姿勢で立つと体内に自然の「ゆらぎ」があり、(緊張して固くなるとこのゆらぎが感じられません)「ゆらぎ」は体がふらついているのではなく、十分な安定感の中でゆらいでいます。
一見止まっているようで動いているので、いつでも動く事が出来る「静中に動あり」。
楊名時師家は、この立つ事の大切さを理解する意味で、立禅を稽古の最初の方に持って来ています。
左に行くのは右に行くため、上げるのは下げるため等、前回の陰陽太極で書きましたとおり「開合」「虚実」など、相反するものが相助け合い、同時に生かす事が陰陽思想です。
動と静・虚と実・剛と柔など対立・矛盾する両者ですが、対立・矛盾の中に整合性・合理性があることを認識し、太極拳の動きの中で両立・共存させていくということを理解し稽古をしていくことが大切です。
「虚」と「実」の運動自体も矛盾した要素を持ちますが、全体の動作から見ますと、おおよそ動作の定式に向かう過程を「実」とし、定式から次の動作に向かう過程を「虚」とします。
つまり「実」の動作や姿勢では、力を沈ませ充実させ、「虚」の動作やその過程では、軽くして含みを持たせるようにすると良いかと思います。
太極拳をする時には、気持ちを落ち着けると同時に楽にし、全身をリラックスさせ、余分な力を使わない。
また頭から一切の雑念をできる限り排除することです。つまり、どのような動作や姿勢の時も、心の中を常に安定状態に保つ。
このことによって気血の運行をよくし、脳(あたま)にとっては稽古であると同時に休息になります。
この事が、マインドフルネスと繋がって来ます。
拳式や動作のつなぎの過程が中断したり途切れたりせずに前後につながっていくことが、大切です。
その動作は決して滞ることはありません。
一動全動と言う言葉がありますが、身体の一部が動けば、全身各部で動かない部分はない。
たとえば、定式動作からゆるめて次の動作に移行する時、まず腰をゆるめ、そのゆるみを手足の指先に到達させ、全身の筋肉をゆるめ、身体を動かしていくようにする。
また、野馬分鬃の定式から次の動作に移行していく時、後ろ足を曲げ身体を後ろに下げ始めているときに、手(腕)の動きが止まったままは不可です。この時、手(腕)に大きな変動はありませんが、「緩めていく」という意味で「動いている」のです。
上下相随(手足をばらばらに動かさない)
は、楊名時太極拳の稽古要諦に入っていますが、手の位置を定めた後に足の位置を定めるのではなく、手と足の動作と視線の変化を互いに調和させ、方向と位置の変化につれて全身の各部が止まることなく動き続け、動作の定式にいたる時、身体全体の動きが実の頂点に達して型を決めることが大切です
たとえば、私も長い間錯覚していましたが、野馬分鬃の動作で、弓歩が先に完成し、手がまだ動いているのは不可になります『協調完整』。
稽古をするうえで太極拳は意識と動作、そして呼吸、眼法の一致した運動であると言う事を頭に入れて下さい。
以上の事を知った上で、それぞれの教室の先生の指導を受けることで、みなさんの太極拳が、変わってくると思います。
文章では限界があると思いますますので、笠島三枝子副支部長の、YouTube(太極拳動画)を是非、参考にしてみて下さい。
是非とも、この奥の深い太極拳を好きになってください。
あなたが、変わります。(笑)
太極者、無極而生、動静之機、陰陽之母也。動之則分、静之則合。無過不及、隨曲就伸。人剛我柔謂之「走」、我順人背謂之「黏」。動急則急應、動緩則緩隨。雖變化萬端、而理唯一貫。由着熟而漸悟懂勁、由懂勁而階及神明。然非用力之久、不能豁然貫通焉!
虚領頂勁、氣沉丹田、不偏不倚、怱隱怱現。左重則左虚、右重則右杳。仰之則彌高、俯之則彌深。進之則愈長、退之則愈促。一羽不能加、蠅蟲不能落。人不知我、我獨知人。英雄所向無敵、蓋皆由此而及也!
斯技旁門甚多、雖勢有區別、概不外壯欺弱、慢譲快耳!有力打無力、手慢譲手快、是皆先天自然之能、非關學力而有為也!察「四兩撥千斤」之句、顯非力勝、觀耄耋能禦衆之形、快何能為?
立如平準、活似車輪。偏沉則隨、雙重則滯。毎見數年純功、不能運化者、率皆自為人制、雙重之病未悟耳!
欲避此病、須知陰陽、黏即是走、走即是黏、陰不離陽、陽不離陰、陰陽相濟、方為懂勁。懂勁後愈練愈精、黙識揣摩、漸至從心所欲。
本是「捨己從人」、多誤「捨近求遠」。所謂「差之毫釐、謬之千里」、學者不可不詳辨焉!是為論。
太極拳経は、三六六文字からなる文書で、冒頭の導入部分から、陰陽理論の核心部分が、表されています。難しい表現の太極拳経を、いろいろな太極拳の本、名時先生また、進先生のご著書を参考に理解しながら、私なりの太極拳経の解釈ですみません。良かったら参考にして下さい。
楊進先生のご著書に『太極拳技法は、競技であれ、健康法であれ、陰陽理論の具現化を要求し、そしてその教科書が「太極拳経」である』とあります。
太極拳経
宇宙の根源を太極という。 太極とはもともと無で、動静のきっかけ、陰陽の母である。
「動静」「動」と「静」対象的な2つの状態ですから、これが「陰」と「陽」という言葉に、繋がります。
「太極」とは、バランスの取れた宇宙の根源という意味があり、常にバランス良く動く事が大切です。
陰陽は不離であり、相助けてはじめて勁を悟る。 勁(氣)を心得て太極拳を練れば、ますます理解が深まる。そして黙々と修練を重ねると、しぜんに妙味を会得することができる。
相手が速く動けば、自分も速く動き、人がゆっくり動けば、こちらもそれに従う。千変万化すれども、そのもとの道理は一つである。
『陰陽、太極の説明は、一冊の本でも足りません・・。(汗)
この世の中は、全て陰陽の相対世界で成り立っています。昼があるから夜がある、寒いがあるから暑いがある、プラスがあるからマイナスがある、悪があるから善がある、男がいるから女がいる。全てバランスです。儒教では、“中庸“と言い、仏教では“中道”と言います。いずれも偏らずバランスを取ることの大切さの教えです。太極とはバランスです。
この世の中、このバランスで成り立っています。
太極拳も、この原理から解釈されています。運動は、筋肉の緊張と弛緩でおこなわれます。緊張と弛緩は、対立矛盾の関係にあり、二者が助け合い、統一されて運動が完成されます。この対立関係を太極拳では「虚実」と呼んでいます。』
無念無想で気を丹田に沈め、姿勢を正しく
すれば、相手の左右の虚実を察知し、相手の高低の誘い技をも知り、さらに相手の進退をもわかるというように、相手の動きに応じた自由自在の変化ができる。
ごく軽やかな羽やハエさえも身に触れさせない。 人が己を知らず、己が人を知れば向かうところ敵なしである。
『無念無想は大事で、雑念を無くす事が課題です。私達は1日に6万のことを考える様です。そのほとんどが雑念です。あれも心配、これも心配、この雑念がストレスの原因になり、身体を壊す原因となっています。なかなか無にはなれませんが、動きに集中して雑念を減らす事によって氣の流れが益々良くなり、健康になっていきます。人生において、雑念を考えない習慣も大切です。この雑念のことをエゴと言うようです。』
『氣を丹田に沈め・・は、皆さん理解が、出来ると思います。』
『姿勢は正しく・・は、「虚領頂勁」「尾閭中正」に代表される「太極拳稽古要諦」を必ず守り動いて下さい。頂勁は別名「頂頭縣」とも言い、「頭の上から無形の紐で軽く引っ張られ、首を自然に伸ばしている様子」人間の頭が下がると百会のツボは閉じてしまい、百会のツボが閉じると、天からの氣が入って来ません。頭を体の真上に置き、お腹には無理に力を入れないことで氣は丹田に集め、脳は集中し雑念を無くします。』
立てば秤(はかり)の如く。 動けば車輪の如し。 偏き沈めば動きは崩れ、双重であれば動きが滞る。
『立てば秤りの如く・・天秤計りのようにバランスが取れた状態を言います。立身であり、中正ある事が、秤りという道具にたとえられています。
『動けば車輪の如し・・車輪は円いもの、転がるもの、動けば腰の軸を中心に四股が滑らかに動く』
『双重・・双重の病、双重の状態を理解すること。双重の状態を理解することを経て、その状態に陥らない為には、陰陽(虚実)を知ることです。両足の虚実から入り、重心の移動を正確に把握し、足運びをしっかり行ない、下半身から安定すること。下半身が安定したら、手の虚実を考えます。手を出し時、虚から実に移る場合は、手の平を徐々に開いていきます。最後に気持ちの虚実をを考えます。動作の虚実に従って虚から実に移っていく時に気持ちをより集中し、実から虚に移る時、気持ちにゆとりを持たせてます。
「こうして全身の虚実と呼吸が完全統一された時、初めて太極拳のもつ無限の広がりを味わう事ができる」と楊名時先生は、おっしゃっています。』
何年稽古をしても、応用できなければ、ことごとく人にやられてしまう。 これは「双重の病」を悟らないからである。 もしこの病を避けようとするならば、すべからく陰陽を知らなければならない。 粘は走であり、走もまた粘である。 陰陽は不離であり、相助けてはじめて勁を悟る。 勁(氣と解釈してください)を心得て太極拳を練れば、ますます理解が深まる。 そして黙々と修練を重ねると、しぜんに妙味を会得することができる。
本来は、心を無にして相手の出方に応じるべきものだが、多くの人は誤って近きをすて、遠きを求めている。 心構えのわずかな差が、修練に千里の隔りをもたらす。 太極拳を学ぶ者は、このことをしっかりわきまえなければならない。
稽古においてもう一つ重要で大切な事は、『鬆』ソン、リラックスできることが重要です。
無駄な力が抜け、ゆったりとした気持ちの良い状態を終始意識することです。「ゆるんゆるん」と言う表現も、誤解を受けがちですが的を得ています。
身体は、自分の意識によって、各関節を無理なく緩む事ができるところに運ばれます。例えば、下半身が無理なく緩む事ができるところは重心が安定するところになり、重心が安定している事で、「ゆるんゆるん」にゆるむことが出来るのです。ゆるみの理解が太極拳では、大切になって来ます。
太極拳の面白さはの一つは、身体を内視しながら微妙な左右差を調整していくこと
だと思います。実際に私も、微差を追求して稽古を重ねることで身体が劇的に変わって来ました。
進先生は、自著の「至虚の道」の中で次のようにおっしゃっています。
『太極拳の基準は、姿勢に到達するまでの過程で無駄な動きがないか、その姿勢における各関節の位置関係は適切か、重心の位置は正しいかと言うこと、それにはまず自分自身と向き合い、自分の心で自分の体と対話することです。動作の中の意識的な動きと無意識動作を、具体的に体性感覚として自覚することからはじめる。
自分の身体が、どのように、反応しているか、何もしていないと思っている時に身体はどうなつているのか、己を知ることから始める。』と、自分の「心」で自分の身体と対話する事の大切さを強調しています。
また、楊名時太極拳について、『競技スポーツとして普及している簡化太極拳を引き合いに出して、形の違いを指摘するひとがいます。これは太極拳を普及させるうえで「心身の和や健康法的な面を強調したい」と言う楊名時流の考え方が違いに現れている訳で、このことによって太極拳の本質が、問われるような問題ではありません。むしろ西洋運動に近い他のニ四式太極拳と違い、楊名時太極拳の形は武術としての要素をより多く残しています。さらに、心身の和や健康法としての側面を強調したおかげで、伝統楊式太極拳を彷彿とさせるレベルの高い技を包括している形が如実に現れています。と楊名時太極拳の素晴らしさを語っています。』
最後に言えるのは、自分自身の身体と心に向き合う事の大切さだと思います。
生活をしていくうえでは、日頃の人間関係が大切になっていきます。
いろいろな人との関係の中で、いかに太極拳が上手に舞えても、その人から滲み出る人間性と言うものが大切だと思います。
私が必ず守りたいと思っている事は、『人の悪口や批判、ジャッジはしないこと、物事に対して不平不満は言わないこと』を大切にしていきたいと思います。
人間は弱いものです、人に良く思われたいと自分を良く見せたい為に、つい環境や、他人を責めてしまいます。
例えば、人との摩擦が起きるとすれば、必ず自分の中にその摩擦が起きる原因が潜んでいます。常に『自分を見つめる“心”』を大切にし、自分の中にあるその摩擦に至る原因を取り除くことにより、人間関係の摩擦はなくなっていくはずです。人間にも陰と陽、必ず誰でも「善と悪」を持っています。多くの考え方の違うひとを、受け入れる余裕を持ちたいと思います。
“太極拳のレベルが数段上がると「神明」神の段階に至るようです。私はそこの段階まで行くのには、あと何年かかるのか・・。(汗)
奥の深い太極拳の、それもひとつの楽しみになっています。
この長文をここまで、読んで頂きありがとうございます。
太極拳を通して支部の皆さんと一緒に、ワクワクと楽しく稽古をし、健康で幸せな人生を歩んでゆきたいと思います。
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