NPO法人 日本健康太極拳協会 山梨県支部

当ブログで活動報告を行なっております。

楊名時師家

数年前、北鎌倉にある「東慶寺」に、山梨県支部理事さんと有志の皆さんで、楊名時師家の墓参に訪れた事がありました。

参加者で、東慶寺近くのイタリアンも美味しくいただきました。

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東慶寺はその昔、“駆け込み寺“として有名なお寺で、北鎌倉駅から数分のところにありますが、石段をのぼり境内に入ると、緑に覆われ氣に溢れ、そこはまるで別世界の様でした。

深い緑に包また境内の小道を歩いて行くと、師家のお墓があり、丸い球体の墓石に「無心」とだけ書いてありました。

「球体」に「無心」は私たちにメッセージをのこしているかの様でした。

師家はこの「無心」について私たちに言葉を遺してくれてあります。

『「無心」という言葉が好きである。

花は無心に咲く。

一生懸命咲く。

そして無心に散る。

悲しまない。

私も少し植物に近づいてきたかもしれない。あまり頭にわずらわしいことがあると、体が持たない。

こだわらなく、好きな太極拳を信じて、万一の場合でも立ったままの姿でお別れをしたい、と思ったりする。  

太極拳も心から動く、無心に動く。

そうすると心の動きが、小宇宙である体に伝わる。

自分の仲間の健康、幸せを願い、敵もなく、無の世界で体を動かす。

心を通して体をなくしていきたいと願っている。』

とそこには記されてありました。

師家は生前中、親友の帯津良一先生と良くお酒を酌み交わしたそうです。

亡くなる時は、帯津先生の病院で亡くなりたいと仰っていたようで、帯津先生ご自身のご著書の中で師家のことについて書かれた本が何冊かあります。

それを拝読しますと、師家は日ごろから「あるがままに生き、あるがままに死にたい」と仰っていました。

抗生物質もない昔、虫垂炎の手術を受け化膿して、そのことが原因での持病が若い頃からあった様です。

師家は晩年になった頃「死ぬ時は帯津先生のところで死ぬ」言われていて、「あまりじたばたしない」「生きるも死ぬもあるがまま」と言われていたようです。

とうとうその時が来てしまいました。

入院されていても、師家はつらいことはあっても、愚痴や嘆きも一切言わず、人前ではいつもニコニコしていたとのことです。

帯津先生も、手術をしようか悩んだ様ですが「手術も延命治療もしない」という師家の言葉を尊重し手術や延命治療は一切されなかったようです。

いよいよその時がきてしまい、ご家族に知らせ病室には、ご家族やお孫さん、お弟子さん(当時の本部理事の皆さん)、大勢の方々が病室に駆けつけ集まってこられたとのことです。

帯津先生がそのことを大声で伝えると、呼吸も苦しいなか師家は、一人ひとり全員と握手をはじめ、良く聞き取れない言葉で何かを伝えていて、全員と握手が終わったところで亡くなられたとのことです。

帯津先生はご著書に、『凄いなと感嘆し、「生と死」を統合させた実に見事な最期だった』と、師家のことについて記されていました。

師家は私たちに、日々起こるあらゆることをそのまま受け止めて淡々と流していきなさい、こだわりのない心で無になりなさいとの教えてくれていたのだと思います。

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官費留学生として日本に留学し、政治的な理由で祖国に帰れなくなり、たった一人で日本に太極拳の種を蒔かれた楊名時師家の凄さが改めて伝わります。

「無心」大事にしていきたいと思います。

追伸:

帯津良一先生が、山梨県にいらしてくださいます。

最期まで健康で、元氣に楽しく生きるにはどうしたら良いか、(楊名時師家のこと、氣功や 太極拳も含め)名医が本音で語ってくださいます。

5月21日(土)22日(日)瑞牆山増富温泉

支部の行事ではありませんが、興味のある方は、(山梨県支部 望月まで)

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